パガニーニの伝説
■18歳で大人の女性とあま〜い同棲生活
パガニーニは1800年から1805年の4年間、演奏活動をぷっつりとやめ、表世界から姿を消している。
それは、ある貴婦人と甘〜い同棲生活を送っていたとのこと。
歳若くしてパガニーニは、早くも“女を悦ばせる方法”を知り、将来女には困らないという人格がここで形成されたワケ(;´д`)ノ"
ちなみにその愛人は「フィレンツェの女ギター奏者」だったようだ。ちょうどその頃、彼はギターの作品を数多く作曲している。
■弦が次々と切れていき、G弦だけで演奏
あまりの豪快な彼の演奏に、ヴァイオリンの弦は次々と切れていった。
だが彼の演奏は一瞬たりとも止むことはなく、調弦、移調、転調を瞬時に行いながら、
それを見てハラハラしている大勢の観客を前にして、
ついには残りの一本の弦だけで、最後まで弾いてしまったという。
唯一残ったのは4本のうち一番太くて丈夫なG弦だった。
そう…彼の持つ超絶技巧の前では、ヴァイオリンを弾くのに、もはや弦は4本もいらないのだ。
これはパフォーマンス好きのパガニーニ本人が、演奏中にわざと鋭く伸ばした爪で切ったとも言われている。
それはそれでまた、すごい話。だが、たとえすべての弦が切れたとしても、彼ならば何かしらの音を出して大喝采を浴びることが可能かもしれない…ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル
■楽譜は演奏会の直前に配られ、終了直後、回収する
すでにご存知の通り、パガニーニは自分の生み出した「技術」や「技巧」、「旋律」が他人に奪われるのを嫌っていたため、
彼のすばらしい作品のほとんどは、出版されなかった。むしろ、自分で楽譜の管理をしていたぐらいだ。
その徹底ぶりは凄まじく、自らの演奏会のバックで弾くオーケストラにすら楽譜を見せるのは演奏会の数日前、あるいは直前…数時間前だったという。
しかも、オケの練習でも彼はソロを弾かなかったため(マジ?)、
楽団員ですら本番になって初めてソロパートを聞くことができたという。
そして本番が終わると、配った楽譜は速攻、有無を言わさず回収されるのである。
このようにパガニーニ自身が楽譜を一切公開しなかったことに加え、
死後、遺族が(…“遺言”なのか“無知”なのか…)楽譜のほとんどを処分してしまったため、
ほとんどの作品は消滅してしまった。24曲からなる傑作《パガニーニカプリースop.1》はあまりにも有名だが、あれはまさに“パガニーニの気まぐれ”だ!!
訳すならば“奇想曲”なんかじゃない、“24の気まぐれ”が正しいとショパン三世は思う。
ヴァイオリン協奏曲は全部で12曲あると言われているが、そのうちかろうじて発見されたのはわずか半分(=6曲)である。
■パガニーニの愛器「カノン」は愛人によって2度壊された
それは1742年に製作されたヴァイオリンで最終所有者がパガニーニ。
博打好きの彼が、“ストラディヴァリウス”を賭けで失った時に、パトロンが与えてくれた“グァルネリ・デル・ジェス”の「カノン」。
ちなみにキャノンとも呼ばれ、“大砲”の意味を持ちます。ほら、キャノン砲とかって聞いたことあるっしょ?
「カノン」の奏でる音は、音量が大きいというワケでもないのに、遠くまで届いたといいます。これが名前の由来かな。
一回目…、、、嫉妬に狂った愛人が床に叩き付けて木っ端みじんになりました(´∀` )
とは言ってもさいわいなことにニスで接着されたところを基点にバラバラになっただけであって、“板”は割れなかったようです(;´д`)ノ"
二回目はパガニーニがロンドンに訪れた時のことでした。カノンの価値を知らない無知な女優二人組にそれをあずけたら、
何を血迷ったのか馬車の屋根に乗せ、転げ落としちゃいました( ̄▽ ̄)ゞま〜たバラバラだよ…ははは…ぷちっ( ̄゛ ̄;)なに考えてんだ(゚Д゚#)ゴルァ!!ヴォケオンナ!
これにはさすがのパガニーニも参ってかなり沈み込んでしまい、引退を本気で考えたそうです。しかし、なぜかその時も板は割れなかったそうです。
とにもかくにも2度の大手術を乗り越えた「カノン」。
彼が終生ずっと大事に使用してヴァイオリンで、死後、それは彼の遺言によりジェノヴァ市に寄付されました。
■ヴァイオリンの鬼神はある日、クギを足に刺したまま演奏した
パガニーニは当時誰も知らない奏法を用いてあまりにも華麗にヴァイオリンを演奏したため、「ヴァイオリンの鬼神」と呼ばれ、
「パガニーニの演奏技術は、悪魔に魂を売り渡した代償として手に入れたものだ」と噂された。
彼がステージに登場すると、あまりに人間離れしたその容姿と存在感に恐れをなし「ひたすら十字を切る者」や
足はちゃんとあるか、空中に浮かんでいないか、足はちゃんと地に着いているかなど、
演奏を聴きつつも「足元ばかり注目する者」など多くたほどである。
ある演奏会当日、パガニーニは本番直前にうっかり釘を思いっきり踏み抜いてしまった。
ところが、なんと彼はそのままステージに立って演奏を始めたといいます。クギを足から抜くことなく、です( ̄□ ̄;)!!
それは「私にはちゃんと足がついている!悪魔でも幽霊でもない!!」を証明するためだったとか。
っていうか、痛みをものともせず演奏している姿はまさに悪魔だろ!!
とツッコみたいのは私だけだろうか…ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル…
■パガニーニの遺体は56年間彷徨い続けた
パガニーニは1840年5月27日、ニースでこの世を去りました。でも安息地がなかなか見つからず、墓地に落ち着いたのは56年後の1896年でした。
これにはさまざまな説がありますが…、、、だいたいの理由は
パガニーニを気味悪がった人々が、自分の町にその遺体を置くのを拒否したことによります。
これを例えるなら【オーム真理教】みたいなもんです。(街から出てけー!!みたいな?
彼のヴァイオリンが、あまりにも常軌を逸して華麗であり、
マルファン症候群のその容貌もまた悪魔のようであったことから、
「あれは悪魔から得た技巧に違いない」との噂が流れたからです。
生前、パガニーニは聖ゲオルグ修道会の騎士に任命されていていたので、
彼の遺体ははじめ、ガイオーナ(パルマ大公国)に運ばれました。
パルマ聖母教会がその騎士修道会に所属していたためです。
ところが教会は、「悪魔と契約した者を教会に入れるわけには行かない」
という理由から遺体の受け入れを拒否しました。
息子のアキレはそれから56年間も父親の遺体を連れて歩き、
やがて1896年にヴィレッタ墓地に落ち着いたという話です。
■パガニーニのスタッカートの伝説
〜弓はヴァイオリンの弦の上でまるで鞭のようにしなやかにさらさらと動いているようであった。
また彼は信じられないほどの速さで数々のフレーズや音階をすばらしく細かいスタッカートで弾いた。
一つ一つの音は彼の指からまるで小粒の真珠がこぼれ落ちるように飛び出してくるのであった。
この運弓の多様性はまさに驚くべきもので、プレスティッシモにおいてさえ最も短い音でも一つ一つがはっきり区切られ、
どんな時でもテンポに狂いを生ずるようなことはなかった〜
(※抜粋/音楽之友社出版【小説パガニーニ】)
■国王のアンコールを拒否して国外追放
サルディーニャ王が演奏のアンコールを求めた際、彼は「パガニーニは二度繰り返さないのだっ!!」ときっぱり断ったため、
二年間国外追放になりました。パガニーニは自分で編み出した奏法や作品を他人に勝手に演奏されたり、
奪われるのをひどく嫌ったそうで、楽譜はほとんど出版しませんでした。
いかなる拍手喝采を浴びた演奏会であっても、アンコールには一切応じなかったのです。
自分の秘奥義(?)が知れ渡るのを恐れたためです。
これはちょうど、タネがばれてはいけないマジシャンが、何度も同じマジックをやらないのと似ていますね。
もし彼に弟子がいるとしたら、きっと北斗神拳よろしく一子相伝!(笑)